ビジョン
450年ほど前、現在の茶道は「茶の湯」といわれ、武士が戦に勝つために「運を付ける」「運を呼び込む」、そして「こころを穏やかにする」儀式として「茶道」がありました。
現在では、あらゆることが現代科学により解明されつつありますが、未だに人の「こころ」は未知の領域です。
「こころ」のあり様は、信じられないチカラを発揮することも、逆に自身をダメにしてしまうこともできる諸刃の剣です。
「ありがとう」「大好きだよ」「助かった」などポジティブな言葉は誰もがほしく、掛けられたい言葉です。
このような「ことば」をかけられるのを待つのではなく、掛けてもらえるように自分を少しだけ変えてみませんか?
約450年前から今に続く茶道から私たちは学ぶべきことがたくさんあります。
その一つに、ことば遣いと立居振舞があります。
ことばは言霊といい、口から出る音に霊(たましい)が宿っているといわれています。
美しい言葉遣いをしましょう。
立居振舞は人の目につく行動です。
美しい行動は他者をいい気持や気分にさせます。
私たちは使命と役割をもってこの世に生を受けて来ました。
目先の事に囚われることなく、それぞれ個々人が「言霊」と「立居振舞」には周りを変えるチカラがあるという確信をもって、それぞれが望む道を選択し一歩踏み出し、あなたの使命と役割を全うできることを願っています。
使 命
「茶の湯とは、ただ湯を沸かし、茶をたてて 飲むばかりなることを知るべし」
約450年前に茶道を大成した千利休が言った言葉です。
シンプルな言葉ですが、相手を思いやる心、信頼関係をつくるためのノウハウ、ものごとの道理など、私たちが生きる上で大切な訓えです。
茶道は、日本人として生きる私たちに存在意義を指し示してくれるものなのです。
この訓えを後世へ正しく引き継いでいくことが私たち指導者の使命と考えます。
外国人、特に欧米の方々には、日本の文化や思想は摩訶不思議に映ることでしょう。
欧米では「個/アイデンティティ」をとても大切にする文化です。
自分は一体何者なのかを知ることに存在意義を見いだす民族でもあります。
他方、日本では「集団の中の個」に自分の存在意義を見いだす民族です。
それぞれ、自分の存在意義の見いだし方は違えども、「個」に求める存在意義という点で茶道を通してお互いに理解が深められるのではないでしょうか。
茶道は、集団の中の「個」を確立する上でとても有効です。
しかしながら、時代と共に私たちの生活文化や生活様式が変化し続けている現代では伝え方にも工夫が必要となって参ります。
数十年前は当たり前だったことが、今では当たり前ではない事が数多くあります。
茶道が訓える立居振舞が現代社会ではどの場面に相当するのか、また、なぜそのような立居振舞をしなければいけないのかを伝える事も大切です。
茶道の3つの訓え
お茶室という空間で亭主(ホスト)と客(ゲスト)が互いに心を通わせる。
茶道を一言で言い当てるとするとこの表現の他にはありません。
お互いに心を通わせるとは互いに思いやる、つまり「思いやり」ということです。
思いやりとは相手に対して心配りや気配りをすること、状況を察して自分にできることを行動に起こすことをいいます。
「思いやり」は茶道だけに通ずるものではなく、実社会においても大切な想いであり行動です。
茶道では五感を大切にします。
畳を歩く音、お菓子や抹茶の味、亭主(ホスト)と客(ゲスト)の立居振舞、お茶碗の手触り、お香の香りなどの五感によりお茶席の雰囲気を味わいます。
しかしながら、お茶席で亭主と客が心を通わすためには、加えて想像力が最も大事な要素となります。
なぜ、この掛軸をかけているのか。この茶器を使う理由は。
ものごとには必ず理由があります。
その理由を想像し、相手に確認することにより、より相互理解が深まります。
これは、茶道に限った事ではありません。
私たちの普段の生活でも、場が求めていること、人と人の間に求められていることなど、想像力を働かせ直感と肌感覚で感じ確認することが重要です。
茶道の点法(てまえ)は、道理に基づきつくられています。
少しでも手順を間違うと、にっちもさっちもいかなくなります。
私たちの実社会でも同様ではないでしょうか?
正しい道筋や理由、ものごとの判断や行動が理に反すると行き詰まったり、心にモヤモヤが残ります。
そのまま突き進むと、大抵失敗に終り、相手に迷惑をかける結果となります。
行き詰まったこと、心のモヤモヤをそのままにせず、一度立ち止まって自身の内なる声に耳を傾け、流れに逆らわないことの大切さを教えてくれるのも茶道です。